うちで踊ろう

【2020/4/7】

4月7日

 

晴れ。風もなく、穏やかな日差し。

 

「4/7」という数字を見ると、あれ?なんだっけ?

となって、そうだ。Dr.Feelgood リー・ブリロー氏の命日。

 

 

 

 

 

かっこよし。

この映像は、昔それこそVHSが擦り切れるほど観たもの。

演者と踊る人たちの気持ちがリンクしてなさそうなとこ、

なんでこんなヒリついてんの? そこが、またかっこよし。

 

 

 

 

 

この先、「4/7」と見ると緊急事態宣言が出た日

と記憶されることになるのか。

そんなもんしょっちゅう出されても困るので

そうなった方が良いのでしょうけども。

 

不要不急、自粛、要請。

 

とにかく、人に会わない、近づかない、接触しない。

なんちゅう世の中でしょう、とも言ってられませんね。

 

こちらひとまず一週間近く、千葉の自宅近辺のみ生活。

 

 

 

 

 

 

つくづく人は、出かけて、人に会いたくて、話したくて

という欲求があるもんなんだな、と感じる日々。

生ビール、頼みたい。頼めない。

お金なんかはちょっとでいいのだ。

 

 

ライブも延期&中止の連続。

5/4浅草も、皆の安全最優先にすれば今はまだ難しく。

afocとの札幌2DAYSも、無理はできません。つらいけど。

楽しみにしていてくれた方々には、とにかく、ありがとう、の思い。

また鳴らし合える時まで、元気でいましょうね。

 

そんなこんなの状況の中で、やれること手探り。

ポロッと目の前にこぼれ落ちてきた、星野源さん。

 

昔SAKEROCKと下北沢CLUB Queで対バンしたなぁ

なんて感慨にふけったかDOかはさておき、

こういうことサラッとやれるの、いいですよねぇ

と感謝&聴いてたら歌詞もいいんだなぁ、と感心。

 

ならば自分はDOしたもんか、ということで

歌に呼ばれるままにベースアレンジ、弾イテミタ。

(インスタ&ツイッターの方、ご参照ください)

 

 

 

ちょっと機材的な話をすると

まずオクターバー通したルート音だけ録って、

その上にディレイ通したコード感&メロ被せ。

なので、実際はベース2本。

 

オクターバーはBOSSの SUPER OCTAVE OC-3。

前に、ものんくるの角田くんが

シンセっぽく低音出せてオススメです、と教えてくれたもの。

ディレイは、MXRのCarbon Copy。

実はこの二つとも、

スナーキーパピーのマイケル・リーグさんがこちらでご紹介。

へー、と思って、採用。単純。影響受けやすいみたい。あは。

 

 

 

 

 

 

 

メロベースの方は、なかなか思ったイメージにならず

うーん、と思い切ってピックアップをリア側だけにして

トーンも3くらいに落としたら、いい具合にコロッと丸く

ちょっと奥ゆかしさのある音になったので、ふむふむと。

 

 

イメージとしては、ジョニ・ミッチェル×ジャコパスの

逃避行、あたりのもの。と、楽しませていただきました。

 

 

 

 

 

 

あと動画。みんながやってるみたいに、

画面二つに割ったり、あれってDOやんだろ?

と、逐一学びだ。あれは?これは?って

なんで?DOして?の幼児みたいに、でもできると

おー!ってなる。よし、ならば打ち上げだ打ち上げだ

生ビール、頼みたい。頼めない。

お金なんかはちょっとでいいのだ。

 

 

 

 

 

 

今は、THEE HEADCOATSのビリー・チャイルディッシュ

聴いている。この生々しさ、人間から飛び散る生命力

そんなものに、触れたくなったのか。そこら辺は、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

たくさん寝るのも、大事。つい、夜更かし。

久々に開けてしまった日本酒が、減っていく。

 

 

 

明日からも出かけなきゃいけない方々、くれぐれもご注意を。

そして医療&介護や物流に携わる方々にも、最大限の敬意を。

出かけなくてもいい人は、今はなるだけSTAY HOMEですね。

猫にでもなった気分で、穏やかにまろやかに、ゴロゴロしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ことばだけで かたさないで

【2020/4/4】

4月3日

 

晴れ。風やみ、暖か。

 

人間の地肌は少なからず皮脂に覆われていた方がいい。

そんなことを痛感する、手ガサガサ問題。

 

しょうがないこととはいえ、

これでもか、と日夜手洗いの連続。

ちょっと手が小さくなったんじゃないかな

楽器も使い込んで年を経ていくと

(乾燥等による木の密度の変化なのか)

少しキュッと小さくなる(ように見える)

というまことしやかな都市伝説あり。

 

河口慧海『チベット旅行記』によると

チベットの山奥の人たちは

福が落ちる、という理由から手も体も洗わない

なんてことが書いてあった(むかしの話です)

 

細野晴臣さんもなんかの本で

髪は洗わない方がしっとりしていい

みたいなこと言ってたし

(朝まで飲んじゃった時のあの感じ、か)

 

あんまり関係ないけど

画家の熊谷守一氏曰く

服なんてしばらく吊るしておけば何年も洗わなくて大丈夫。

(晩年の20年くらい家と庭にしか出なかった、とか)

余談。

 

 

洗い過ぎる、ってのは生物にとってはよろしくないことなのでしょう

そんな手段でもってウィルスに対抗、先方の嫌がることを。えいやと。

ということで引き続き、手洗いうがい励行。

 

 

春の日差しに誘われて、なのか

急にやる気が出て、イラストを描く。

日差しに誘われ過ぎたのか、

外に出て、描いてみた。

 

 

木々の新芽が徐々に芽吹き、

竹の子どももニョキッと顔を出す。

 

 

夕方、また近所を歩く。

昨日と同じ神社の境内で、しばし風を浴びる。

 

なんでもない春の一日。

散っていく桜にはいつも通りの春。なのか。

 

 

鳥のさえずり、木々のざわめき。

気持ちはハンモックに揺られてるみたいに

ゆらりゆらり。騒ぐでも、黙るでもなく、

さえずったり、ざわめいたり

ちゅんちゅん、ざわざわ。と。

今はこれでいいのだろう、

気持ちをあっさりと片付けず、ほっぽってまた歩く。

 

 

そら豆の苗が背を伸ばす季節。

寒い冬を超えて、花を咲かせて

風に揺れる葉は緑緑して生命力を発散

よく見るとアブラムシがビッシリと。

 

なんでもかんでも

じっと目を凝らして見過ぎると

見たくないものまで見えてきてしまうから

見落とせ見過ごせ聞こえても聞き逃せ(by トモさん)

 

我に返るスキマ

埋まりそうもないときは

それもまたよし、スキマを楽しむ。

ベーシストの本懐。

 

 

言葉だけで

片さないで

触れることで始まる熱があって

 

気持ちをあっさりと片付けず、ほっぽってまた歩く。

 

 

 

 

 

 

 

こぼくかんがん

【2020/4/3】

4月2日

 

晴れ。日差しは暖か、風が強い。

 

自宅にて。

ベースを弾く。

 

録ったり聴いたり消したり

を繰り返しながら

行ったり来たり。

 

 

形になっていくのは楽しい。

けど、遅々として進まなくなると

うーむ…とげんなりしてくるので

気分転換に外へ散歩。

 

あんまり出歩くなよ

という現況なので

近所も近所

神社へお参り神頼み。

 

 

境内の御神木を拝んだり

苔を愛でたり

新しい生命の息吹を感じたり。

 

 

ツアーに出るとおろそかになる

食事も今は毎食欠かさず健康的。

五日間断酒という自分内快挙を成し遂げるも

今ちょびりと飲んでしまった。やり直し。

 

『むかしの味』池波正太郎

 

 

なんとなく読む。

外食したくなってくるけど

洋食に寿司に鰻に、と

普段いくような店じゃないとこばかりなので

完全に他人事、へーいいですねぇっていう感じ。

ただ、京都イノダのサンドイッチと冷たいビール

という組み合わせ、そんなの考えたことなかったので

いつか試してみたい、とは思った。

あと池波正太郎って絵がうまいのね。

味わい深い挿絵の数々、ステキです。

 

ライブができるのはいつになるのか。

平和な世の中、いかにありがたいか

いまは全力で抑え込み、収束へ向け。

また心置き無く音楽を鳴らせる日を切望すればこそ

我慢も自粛もできるというもの。つらいけども。

 

 

カラダ気をつけつつ、気楽に。

今だからこそ、できることを!

って意気込みすぎると、

あれもこれもでつまずきそう。

まずはちゃんと呼吸して、深く。

一つずつでも、何か身につけば儲けもん。

生きてるだけで丸儲け。BEGIN。

 

とか言いながら、ずっとベース弾いてる。

他のこともしなきゃ、でまた意気込む。

落ち込む。思いつめる。ありゃりゃ。

 

 

人間、なんだか思いつめてばっかだけど

思いつめてこそ生きがい感じるんだから

思いつめることなくなったら枯木寒厳(こぼくかんがん、と読むそうです)

だれでも何か思いつめながら暮らすしかないのよ。

と、武田泰淳さん曰く。そんなもんか。

 

 

聴きたくなるのは、再度、再々度の。

 

David Darling&The Wulu Bunun「Mudanin Kata」

 

歌は祈り。

人間の歴史に、なくてはならないものだったのでしょう。