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(2015.5.7更新)
『No.3』
2000年12月8日発売(DECKRECK)
1.No.3
2.くもり空のベイビー
3.太陽はまぼろし
4.Little Sweet Lover
コヤマ「さて『No.3』ですけども。これは(前作『DOIN’ OUR SCOOBIE』から)1年ぐらいあいてるのかな」
MOBY「2000年12月8日リリース…ですね。ネモト・ド・ショボーレ(注1)の誕生日ですね」
コヤマ「これはあれなんですよ、3曲がGOK(での録音)になるんだよね。「No.3」、「くもり」、「太陽はまぼろし」
はGOKで「Little Sweet Lover」がスタジオサン」
マツキ「そう。この時、スタジオサンでは「こぼれそうな涙」と「Tramp」も録音してるね」
MOBY「DECKRECのコンピ(注2)に入ってるやつね」
コヤマ「で、この『No.3』はなんでGOKになったんだろう」
MOBY「GOKがいいって言ったんだよ。ハマさんがいたし」
マツキ「そーか。またハマさんとこでやろうって話だったんだね」
コヤマ「やっぱ当時は、ドラムをいかに生々しく録れるかみたいなとこだったんだよね。生ブレイクビーツ(注3)じゃないけどさ、
ドラムだけでカッコいいっていう」
マツキ「あれだよね、だからジョンスペ(注4)とかの感じだよね」
MOBY「うんうん。このスタジオはコンクリ打ちっ放しみたいなとこで、ガレージ感あったしね」
コヤマ「でもさ、レコーディングの時間は限られてたからさ。ドラムの音決めたら、もうすげー時間なくなってて(笑)」
マツキ「そうそう。もうそれで終わりなんだよ」
コヤマ「ね(笑)。で、後はもうバーッとやるって感じだったのよ。1日のレコーディング時間の半分以上をドラムの音決めに使ってたんだよね」
MOBY「早く決めたかったんだけどねぇ。なかなかね…」
コヤマ「でもさ、あの時はみんながね、「もっと(ドラムの音が)カッコよくなるんじゃねぇの?」って感じだったんだよ」
ナガイケ「でも、もうずーっとドラムの音との戦いでしょ。20年(笑)」
MOBY「いやぁホントそうなんだよ(苦笑)」
ナガイケ「だって俺も入った頃、ドラムの音ってこんなにいろいろやるんだって思ったもん(笑)」
コヤマ「でも、そこはね、きっとレコーディングを始めた時からさ、カッコいいドラムサウンドが録れないと嫌だぁ!ってのがあったのよ(笑)」
マツキ「ンハハハハハッ」
コヤマ「そこがさぁ、俺たちがバンドでやる意味みたいなさ。普通の綺麗な音で録らないで…、っていうね。
だからこのレコーディングはさ、そのドラムサウンド作りみたいなとこは結構頑張ったんだと思うんだよね」
MOBY「そうだねぇ(しみじみと)」
コヤマ「でも、あんまし売れなかったんでしたっけ(笑)」
マツキ「ねぇぇぇぇ(遠い目)」
ナガイケ「でも、『No.3』良かったですよ」
MOBY「だってこれはあれですよ!ラジオでかかって、それを横山剣さん(注5)が聴いて、ソッコーCD買いに行ったっていう!」
マツキ「あぁFM横浜に問い合わせたってやつね」
コヤマ「そうだそうだ。しかも剣さんはその時、仕事を始めたばっかりの頃だったかな?で、バンドの方向性に迷いがあった頃だったらしく。
そんな時、これを聴いて俺の体に電気が走った!って言ってくれててさ(注6)」
マツキ「いい話だねぇ」
MOBY「のちに渋谷タワレコの地下で初めてライブ観て、挨拶した時も真っ先にその話してくれたしなぁ」
コヤマ「そんな『No.3』はどうだったんですか、ナガイケ君!これも、落ち着いてた(笑)?」
ナガイケ「いやいや(笑)。これは「Little Sweet」も入ってたしね…」
マツキ「どれも今聴くと遅いんだよねぇ!」
ナガイケ「そうそう。遅い!遅いんだけども、どれもね、いいないいなって感じでしたよ。買ってますから、ちゃんと!(ニンマリ)
で、この頃って俺もう大学に入ってる?んでしたっけ?」
MOBY「2000年の12月だから、入ってるね。大学一年生」
ナガイケ「そうだそうだ。黒人音楽ナイト(注7)とかやってた頃でしょ」
マツキ「ああー。あったねえ。黒人音楽ナイト」
MOBY「(当時のスケジュール帳を見ながら)その年の8月と10月に二回やってるね。12月にもやってるわ。三回だ」
ナガイケ「ね。見に行った記憶あります」
マツキ「へー」
ナガイケ「でね。当時、新宿ジャムでね、ヤンスキ(Yaung Skins)のレコ発かな。SCOOBIEとヤンスキがやる時があって。
大学もう入ってたから、MOBYに「行きたいんですけど」、って言ったら「ああーいいよ。(ゲストに)名前書いとくよ」って言われて、
で行ったら書いてなかったっていう」
マツキ・コヤマ「ワハハハハハハ!」
ナガイケ「いまだに根に持ってますよ(ニヤリ)」
MOBY「それはことある度に言われますけどね、ホントすいません!」
コヤマ「だから、バンドに誘われた時も、イヤイヤだったんだもんな(笑)」
MOBY「それは2000年5月12日の新宿ジャム(注8)ですね」
ナガイケ「そうだ。だからこの時は俺も大学入ったばっかの頃だったんだよね。で、(ゲストに名前が)書いてないっていう(笑)」
MOBY「この年ちなみに、サニーデイ・サービスとコレクターズとやってますね。Magic Fan Fairっていうイベントでね。これが初クアトロ」
ナガイケ「それ3月くらいですよね。俺、その年の3月のちぇるしぃ(注9)とドメニコ(注10)とシェルターでやってたやつ……」
MOBY「ああ!あったねぇ!多分、マーキービート(注11)じゃないかな。2000年の3月4日、そう!マーキービートだ!」
ナガイケ「そうか、マーキービート。俺、それは観に行ってますね。早稲田の受験の日に、試験が終わってそのままチケット買いに行った(笑)」
マツキ「すげぇな。そーとーライブ好きだったんだね!」
コヤマ「道理で友達いないわけだ!」
ナガイケ「そうそう(笑)。受験の日に(チケット買いに)行くかっていう!」
コヤマ「だから、やっぱりSCOOBIE DOに入るのは運命だったんだ(笑)。そんなナガイケ大学一年生時代の年末にリリースされた『No.3』ですが、
ここからは今回のBESTに「No.3」と「Little Sweet Lover」か。これが入ってるんだけど」
マツキ「そうだね。まぁ(『No.3』の収録曲は)ライブで全部やってるんだけどね(笑)。回数でいったらこの2曲が定番かなぁっていう」
コヤマ「でもね、人気がないとか言われてた割には、いい盤だなぁって思うんだよね。同じ4曲入りの『夕焼け』ではさ、
(リズムもの:歌ものの比率が)3:1だった割合が、この盤では半々になってさ。しかも、テンポを抑えたやつがその中に入ってくるってのがね、
よりソウル度を増してきてる、と思うんだよね。ナガイケの話を聞いてて思い出したけど、結構この頃はガレージシーンと関わっていた時期だったんだよね。でも、そことも違う感じだしさ。歌の世界観みたいなものも、カッコいい、とっぽいっていう部分だけじゃなくて、自分たちの思いとか気持ちに寄って来始めてて…」
マツキ「うんうん。情緒が出てくる」
コヤマ「そうそうそう。うん…なんかね…これ、ほんとスゲェいい盤なんだよな(笑)。ずっと演ろーね!」
『No.3』ジャケット表 アウトテイク
『No.3』ジャケット裏 アウトテイク
※1 インディレーベル・DECKREC代表。自らを「ロックンロールファンクラブの会長」と言い切る、ロックンロール愛に溢れた黒縁眼鏡のナイスガイ。マラカスの名手。’60sの音楽に造詣が深いが、自らのレーベル第一弾アーティストがPOLYSICSであったり、最近では、住所不定無職、うみのてetcの音源をリリースしていることからも、懐古主義的なロックンロールファンとは一線を画すセンス&愛情の持ち主であることがわかる。
SCOOBIE DOとの出会いはhttp://scoobie.exblog.jp/14593984/あたりに詳しい。
今回のベスト盤に収録された『悪い夢(Single Version.)』のマラカスプレイはネモト氏によるものである。
※2 2001年にリリースされたDECKRECのレーベルコンピ『DECK IN REC START!』(DCRC-0028)。
SCOOBIE DOからは、のちに『beach party』で再録することになる「こぼれそうな涙」とDEEP FUNK CLASSICSであるThe Showmen Inc.のカバー『Tramp(from Funky Broad Way)』の2曲が収録されている。
※3 音源から抜き出したドラムフレーズを切り分け、それらをつないで楽曲のビートを作る方法。90年代以降、HIPHOPのトラックなどに古いレコードから抜き出されたドラムフレーズが頻繁に使われたことから、ドラムサウンドをカッコよくFUNKYなものにする要素には「リズムパターン」だけでなく「サウンド(音質や録音状態)」が大きく関わってくるのだ!ということが常識となる。その影響で、以降はFUNKYな生音MUSICを志すバンド、ドラマーはこの部分のセンスが常に問われるようになるのであった。ブレイクビーツ的な生音のドラムサウンド・プレイを指して『生ブレイクビーツ』、『人力ブレイクビーツ』などと呼ぶ。
※4 ジョン・スペンサー ブルースエクスプロージョン。Vo/Gtのジョン・スペンサーを中心とした3人組ガレージロックンロールバンド。“爆裂ブルース”などと評されることもあるが、いわゆるその他のガレージバンドと一線を画す部分は、そのFUNKYなドラムサウンドにある。ベースレスでありながら、確実にブレイクビーツ以降のFUNKYサウンドを体現しているそのスタイルは唯一無二なので、まともなフォロワーと言ったらKING BROTHERSぐらいしか思い浮かびません。SCOOBIE DO内では『ACME』収録の「calvin」が流行った記憶。Non stopのスゲェライブ盤『Controversial Negro』もオススメ。
※5 クレイジーケンバンドのリーダー、ボーカリスト、キーボーディスト、作曲家、プロデューサー。自称『東洋一のサウンドクリエイター』。FUNKYかつMELLOWな音楽にSOULとユーモアを注入することを忘れないイカしたお方である。生き様がセンスを磨き、そのセンスがまた生き様を磨く…、カッコよすぎる半生を書いた自伝『クレイジーケンズ・マイスタンダード』は必読。
※6 ここでのコヤマの発言は、SCOOBIE DO 10周年記念ライブ@日比谷野音にて販売されたパンフレット内『DISC REVIEW from FUNKY SUPPORTERS』に寄せられた「NO.3」を語る横山剣さんの文章を思い出して語られているようである。とても素敵な文章なのでここに再掲載してみます。
「この曲に出会ったのは、おれが本牧埠頭で港湾関係の検査の仕事をしていた頃。現場から現場へ移動する時、この曲がおれの愛車のラジオから流れてきたんだ。言葉で説明するのはちょっと難しいんだけど、聴いた瞬間、軽い目眩というか、こう、身体中に電気が走ったのでさっそくラジオ局に問い合わせたらスクービードゥーの「NO.3」という曲だということが判明。で、仕事中だったんだけど、早速、その足で元町のタワー・レコードに行ってコレをゲト。エモーショナルでスピリチュアルなヴァイブスがぶっとい塊になっておれを直撃。その頃、おれはCKBの活動にちょっとばかし迷いがあったもんで、そんな時にこんな凄いの聴いちゃったから余計にショックでめちゃくちゃ悔しかったんだよね。でも、逆にそれが刺激になって、おれもまた「やる気」になれたんだと思います。素晴らしい音楽を有り難う!
イイネ!イイネ!イイネ!」(横山剣)
イイネ!×100万回クリック!剣さん、ありがとう!
※7 ハウリン・ハチマ主催、下北沢CLUB Queで不定期に行われたミッドナイトライブパーティー。フロア側に楽器を置き、バンドは生音でソウルやブルースなどのカバーナンバーのみを演奏するという特殊なスタイルでありながら、毎回満員御礼、しかもみんな踊ってる!という大盛況ぶりであった。GYOGUN REND’S主催のパーティー『SLOOPY』がこのスタイルの元祖であったように記憶している。
※8 SCOOBIE DOが1995年バンド結成後、その年の10月に初ライブをしたハコ。このライブハウスでライブをすることが、SCOOBIE DO結成当初の夢であった。まるで洞穴のようなダークな雰囲気が、結成当初のサウンドや気分にも合致し、その後、リハスタでの練習や、自主イベント「ハードフレアナイト」を開催するなど、何かとお世話になった場所。JAM出演当時のライブの様子はベスト盤『4×20』のDisc.3 M-16「木曜日のユカ」を是非とも聴いてくださいね。結成当初のPOLYSICSや氣志團もこのハコで目撃。
※9 京都のロックンロールバンド。活動初期は後期グループサウンズに影響を受けたような、いわゆる“GSバンド”だったが、ナガイケジョーが目撃した時期には村八分とストゥージーズが合体しケンタウロス化したかのようなバンドになっており、当時のガレージロック(注12)シーンの中でも極めて異端かつトラウマチックな存在であった。2000年解散。
※10 ドメニコドモランテ。重量級のボーカリスト・トクthe D率いる、RAWでプリミティヴなロッキンサウンドを鳴らす、正しく真っ当に“ガレージパンクロック”なバンド。2000年リリースの1stアルバム『Hey! Got Tomorrow Night!!』(DCRC-0009)にはコヤマシュウもハーモニカで参加。2013年解散。
※11 GYOGUN REND’S、KING BROTHERS、ドメニコドモランテ、ちぇるしぃ、THE HAVENOT’S、そしてSCOOBIE DO etc…が出演した下北沢オシャレトンガリボーイズ&ガールスの為のガレージロックンロールパーティー。 服飾デザイナーのマッキーさんが主催していたからだと思うが、他のガレージロックイベントに比べ、色気重視の美意識を感じるナイスなパーティーであった。
※ 12 ガレージ(車庫)で練習するアマチュア・バンドが鳴らすような音楽、という意味でつけられた名称。元々は1960年代半ばアメリカの若いバンド達による、初期のロックンロールへの憧れ・回帰の要素が強いムーブメントを指した呼び名であったが、今現在でも荒々しく生々しいロックンロールを演奏するバンドのサウンドを指す言葉として使われていたりする。演奏力、テクニックよりも、気合いや空回りや向こう見ずなエネルギーに満ちた音楽。日本のシーンには、※11マーキービートであげたバンド以外にも、GUITAR WOLF、MAD3、GASOLINE、The 5.6.7.8’s 、その他たくさんの素晴らしいバンドがいる。
(構成・文/ダイナマイト木戸)