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【2021/8/30】

8月29日

 

晴れ。

 

ここ数日、残暑厳しく

束の間横顔を覗かせた

秋の夜風は今はどこへ。

 

昨日は吾妻光良&ザ・スウィンギンバッパーズとの

渋谷CLUB QUATTRO

 

熟成された音の厚みと深み

さすがでした、それぞれの技。

 

このメンバーで、音出すのが

楽しそうだな、まずはそこか。

みなさんいい顔、良かった良かった。

 

 

帰りの車内にて

ベースアンプの上に置いたiPhoneで

録ってた音を聴く。

 

ベースの音ばかりで全然聴けたもんじゃないかな

と思ったら、案外ちょうどいいバランスで

(さすがにギターはちょっと遠いけど)

ライブの雰囲気がじんわりとよみがえる。

 

(あの場所で、こんなバランスよく、聞こえてんだな)

 

演奏している時は、どうしても減点法というのか

自分のイメージからちょっとズレた一瞬に

あ、今。あ、今。あ、今。。。で

マイナス箇所にばかり気を取られてしまうのが

よくない、よろしくないぞ、と

自分に念押し、いつだって強い気持ちで

現時点での自分の技量を信じて(そのための練習をして)

臨まなければイケナイ

→その結果「自分のイメージ」がコリ固まってまた邪魔になる

の繰り返し。

 

聴き返してみれば、何が問題なんだっけ?

となる。

もちろん、うひゃー!ってとこもあるけども。

そのたびに

誰のためにライブやってんだ、と自身を戒める。

 

FUNKY4 PLUS ONE MORE

 

こうしなきゃ、こうじゃなきゃ

を、抱きつつ全撤廃、が理想か

そんなの、あるのか。

 

思い切りやれば、なんだっていいんだ。

ひらきなおり。ダメだろ、いなおり。

 

制御できない、その一瞬のひらめきを

もれなく表現できるだけの技量さえあれば

それで良いのだと思う。

 

それがボーン…の一音でも、

んベンベドバドババの音の羅列でも、なんでも。

少しは良くなった、悪くなった、でも、良くなった。

 

無観客での配信ライブや、

声出せない、拍手だけの有観客ライブの中で

(ご協力ありがとうございます)

演奏する側は、かなり鍛えられてる、と思う。

 

 

いつだって過渡期

まだまだ先がある

と思えば余裕余裕

ただ演者たるもの

今日が最後かも、

という思いだって

あながち間違ってないとも限らない。

 

 

まぁだから何だ、って話。

 

 

目の前に見てくれてる

聴いてくれている人がいて

自分の鳴らしてる音に

共鳴して応えてくれる

それを愛と呼ぶんだぜ(サンボマスター!)

 

と言いつつ

演奏する時は

余裕しゃくしゃく

なフリして

無我夢中

見失いながら

必死にワラをも掴むくらいの

息あっぷあっぷ、な人が

自分は好きだな。

 

次は、9/4の熊谷モルタルレコード独演会。

 

静けさとうるささと

冷静と、狂騒と

今の気分は

鳴らす音すべてが祈り

というのも、おこがましいのか。

 

みんな穏やかな夜を

迎えられますように。

 

ただただ今、自分にやれること

全力で、思い切り、鳴らしましょう。