彼岸花、ジャコパス、1998年。その周囲で。

【2021/9/16】

9月15日

 

朝、薄曇りの空。

徐々に晴れて、気温上がるも

礼儀正しく、じゃこの辺で…

と一礼して去っていくような

暑さ、ジェントルな熱。

 

夕方になれば風涼やかに

リハから早く帰れたので

近所を歩くと、彼岸花あちこち。

 

(白いのもあるのね)

 

もうお彼岸の連休前。

 

台風来てるとのことで

おやまぁ、いろいろと

 

各地お気をつけください。

 

ただ大分、岡山の日は

なんとか大丈夫そうかな。

 

9/17福岡は残念でした

また次の機会を期待して

まずは今やれることから。

 

 

ということで本日はバンドリハ。

 

大分&岡山、その次のコットンクラブ

そして、ちょっと先のシェルターetc.

 

10/8下北沢shelter「1998年のSCOOBIE DO」開催

 

「1998年って、オレまだいないけど」

みたいな話から、初めてシェルターで

スクービーのライブ見たときのこととか

何のカバーしてただとか、そんな話で和んだり。

 

ああいう、200~300キャパくらいの

「ライブハウス」で初めて行ったのが

シェルターだった、高校二年くらいの時だから

それこそ1998年かな。

 

ひとりで、入り口の前の通りを

(つまり茶沢通りを)

行ったり来たりして

あの階段を下りていいものか

あの鉄っぽい扉を開けると

中は一体どうなっているのか

と、そんなことを考えながら。

 

で結局、階段を下りた。

 

一歩足を踏み入れた先に

今へと続く道があった、

ということになるのか。

 

 

 

リハへの車内では久々にジャコパスを。

 

バースデーLIVE盤。

 

今改めて聴くと、

ジャコパスはちゃんとバッキングに

徹しているんだな、たまに変なことやるけど。

 

 

で、信号待ちの時にチラと

クレジット眺めてたら

このライブ、1981年12月1日のもの。

 

ジャコパスが12月1日生まれ

というのは知っていたけど、

そうか、この盤は1981年だったか

つまり私が産まれる二日前。

 

母親の胎内でいざ世に出ようと

ケリケリしていた時に、

ジャコパスはこんな演奏をしていたのか

という、たったそれだけのことに

ちょっぴり胸が熱くなる。

 

ちなみにうちの母親、

1950年生まれで、ジャコパスと同世代。

(ジャコパスは51年生、87年没。享年35歳)

 

 

一昨日には、JAZZリハ。

 

ここから先はその日の夜に

書いていたものを。

 

9月13日

 

JAZZリハ。

 

マツキ氏にJAZZ理論を学んだりしつつ

一通り曲合わせ、セッション。

 

音を合わせると、パッとひらける。

やるべきこと

9/19に照準合わせ

おさらい&終わらない探求。

 

「JAZZに終わりはない」

とは、本日マツキ氏の金言。

 

 

先日の9/4熊谷モルタルレコードでの独演会。

 

外は雨、いつも雨?

いや、そんなことないか。

 

ご来場いただいた方、想いを馳せてくれた方

どうもありがとうございました。

 

最近恒例の西千葉cafeSTANDでの

「ひとり宵待チバ」はノーマイク、小型アンプのみのスタイル

ならではの”生”な感触を大切に、を経てからの

久々の通常マイクあり、アンプもまあまあなサイズで

全身で演奏、荒ぶった瞬間もあり、汗かきかき

モルタル2階の板張りの床を踏む音も心地よい。

 

窓を開ければ空気も流れ込んで、スースーする。

おかげさまで、前後半、新たなネタも投入しつつ

たっぷり鳴らす。

 

帰りの車内で、音を聴き返しながら

気合のあらわれか、

どの曲もピンと糸を張った感じの、

好きなスピード感だった。

 

(ちなみに帰りは2時間半くらいの旅路)

 

独演会にも、終わりなし。

 

次回ソロは来月、10/17(日)西千葉cafeSTAND。

「ひとり宵待チバ」でお待ちしています。