ここんとこ。

【2022/3/16】

3月15日

 

朝、曇り。

 

徐々に日が差し、

昼、暖か。

春、本格化。

 

最近のこと。

 

日々の些事

いいことわるいこと

個人的に感じる様々な感情

そういったものに敏感であることが

むなしくなってくるくらいに

(自分のことで悩めるなんて、

平和もいいとこだ)

 

戦争

 

という過酷な現状が

どうしたって頭をよぎる。

 

 

最近読んでいた本が

 

『リトリート ブッダの瞑想の実践』

ティク・ナット・ハン

 

あまりにマインドフルにあふれ

うーん、わかります、わかりますけども

なかなか実践は難しいです。

 

マインドフルであればあるほど

この現実と、どう対峙したらいいものか

 

少々混乱したりして、ちょっとゲンナリ

 

いやそもそも三ヶ月も切らずに放置した

このモッサリした髪の毛がまずイカン

と、頼もう!と、いつもの美容室にて

髪をCUTして気分も爽快

 

その足で向かった

ザ・コレクターズの日本武道館公演は

まるで1ミリの迷いも感じさせない

どっしりとした大木のごとき

(=たいぼく。大木兄弟のことではない。

ハルさんトモさんも近くで観てらしたけども)

 

あの存在感、安心感はサスガですね。

 

ロックはドーンと鳴らさなきゃ。

チョコマカしてちゃイカンのよ。

大体がオマエのベースはチョコマカちょこまかと。。。

 

と、また雑念とねんごろな帰路。

 

なんて言いつつ、ここのところまた

自分の演奏に新たな局面を感じたりして

(自分のことで心を動かせるなんて、

平和もいいとこだ)

 

 

この間、リハ終わりに下北沢の古本屋

100円均一コーナー(a.k.a. 餌箱)で拾った

 

『踊りの心』尾上松緑(1971年)

 

歌舞伎役者。

伝統芸能に携わる人の言葉は、謙虚。

 

その「行儀ということ」という一節で

 

「十出来ても、それを九分なり八分でとめる」

、、、怠けるという意味ではなく、、、

十のもの十やったり十一やっちゃいけない

という意味のことです。

 

 

芸事の、真理

というのか。

 

 

全部の曲で、自分の十、十一を出そうとすると

自分で自分を窒息させる、というと大げさか

まわりも息苦しくなる、余白、吸って吐いて、

の呼吸

 

全然まだまだできるけど

あとはみんなよろしくね

 

それが、ちょうどいいライン。

 

みんなが生きる。

みんなを活かす。

 

コレクターズは、なんかそんな感じ、だな。

 

だから観てて、聴いてて

こっちもちゃんと呼吸できる。

 

 

とっちらかってるんで

明日には消すかも

 

なんて

 

(自分の都合で載せたり消せたり、

平和もいいとこだ)

 

 

自分が音を鳴らすことで

ちょっとでも周りに平和な気持ちが生まれたら

 

 

今はそれを信じて、自分の音を

感情を、その瞬間の感性を

しっかり鳴らしてこうと思います。

 

 

そして何より。

戦争の終結と、

世界中のあらゆる人々に

平穏な日常が戻ることを祈願しています。

 

鈴木勲さん

【2022/3/11】

3月10日

 

晴れ。

 

昼過ぎ、リハのため都内へ向かう道中

鈴木勲さんの訃報をSNSで知る。

 

ジャズベース界の “GOD FATHER”

 

89歳だったとのこと。

 

最近までライブで弾く姿を映像でも観ていたので

しばらくぼんやり

そうか、そうなのか

と喪失感。

 

ただただご冥福をお祈りいたします。

 

 

とはいえ、特に面識があったというわけではなく

一方的にこちらが一リスナー、一ファン。

 

なんだっけ?

いつどうやって氏の音に触れたんだったっけ?

 

と回想し、

 

もちろんジャズの名盤紹介などで

『BLOW UP』辺りはよく取り上げられるし

偉大なベーシストとしての名は

こちらが物心つく前から轟き渡っているわけで

耳にする機会はいくらでも。

 

ただ実際に音をナマで感じたのは、

 

あれは、いつだ?

 

と、困った時の歴代スケジュール帳を参照。

 

確か、震災の直前だったような記憶、、、

をもとに辿ってみたら

 

2011年3月6日

 

渋谷の”SARAVAH“というクラブ(?)で

 

『Wax Poetics Japan Compiled Series -King of JP Jazz-』のリリース・パーティ

 

という形でのライブを観た時だった。

 

で、その日のメモ書きには

「震えた。うまくならなきゃダメだ。興奮。コンドウさんと共に」

との記載。

 

そう、偶然居合わせたデザイナーのコンドウコウジロウさんと

「やばかったねー」と終演後、焼き鳥をつつきながら飲んだ。

 

弾いてるフレーズ云々というより

音の速さ、時に薪が爆ぜるような音色で、

そして右手のしなやかさ、

指板上を駆け回る左手のなめらかさ。

 

こんなベースの演奏があるのか、と

それこそ未知の”低音動物”と出会ったような感覚。

 

そんで、たぶんこの辺の映像を観たり。

 

https://www.youtube.com/watch?v=GmPffkzQFx4

 

ベースでメロディーを弾くだけでも

こんな風に独自のリズムや表情を付けられるものなのか。

 

妙なタイミングで音をすべらせるところはもはや特許。

 

 

音源ではコチラ。

 

 

『Sincerely Yours』

鈴木勲&菅野邦彦

 

ピアニスト=菅野邦彦氏とのデュオ、これがまた良くて。

 

最近ひとりライブの時にも披露している

「Moon River」は、この音源のアレンジを参考に

自分なりに消化したもの。

 

アドリブソロにありがちな難解さや勤勉さではない、

音が本能のままに呼吸している、そんなイメージ。

 

 

そして、決定的だったのが

(これまた手帳見て日付を探し出した)

 

2014年5月23日

 

荻窪の “Velvet Sun”にて

鈴木勲 x スガダイロー LIVE

 

即興演奏。

 

音の速さの、応酬。

 

ここでいう”速さ”とは別に速弾き

というわけではなく

瞬間的な、反応し合って、

飛び出してくる音の速さ

みたいなニュアンス

 

終演後に、スガダイローさんに

 

実は前にRSRFのバックステージでお話ししまして、、

 

みたいなことから切り出し、

 

即興ってどんな感じなんですか?

 

というコチラの素朴すぎる問いには

 

「相手の音を聴いているようで、聴いてない」

 

「合わせ過ぎると、恥ずかしいし」

 

「聴いてたらもう遅くって、音をかぶせていくイメージ」

 

というような答え(これもメモに書いてあった)

 

この辺のことは、

のちのインタビューにも言及あり。

 

https://www.artspress.jp/posts/5145328

 

 

ひとしきりダイローさんとお話しした後に、

オマさんが通りがかったので、

 

「彼もベーシストらしいですよ」とダイロー氏

 

するとオマさん、近づいていらして

 

「キミ、ベース弾いてるの?

ベースってのはね、、、難しいんだよ」

 

とニヤリと笑って一言。

 

 

この言葉は、今でも金言

(いや正直、ちょっと忘れかけてたところもあるけど)

 

あ、そうなんだ、難しいんだ!

 

80過ぎても(おそらく当時)

そう思うんだなぁ、やっぱりそうなのかぁ。。。

 

やればやるほど、

むずかしい。

 

時にその難しさに

心が折れそうになったり

どう折り合いをつけたら良いのか

見失ったりすることもありつつ

(深刻にはならないように、気楽さも忘れず)

 

でも、だって

むずかしいんだから。

 

きっとこれからも

オマさんの言葉は、

この胸に生き続けることでしょう。

 

 

で今日は、

 

おかもとえみとナガイケジョー 

 

3/28LIVEへ向け、久々のリハ

 

ここどうだったっけ?

 

と、感触を確かめつつ

新たな曲も試しつつ

 

歌&ベース

 

これがまたシンプルでありながら

むずかしい、だから楽しい。

 

むずかしいことを、かんたんに。深く。

 

これは、井上ひさしさんの言葉、か。

 

 

日々学び、謙虚に、

でも危なっかしい、チャレンジも忘れず

 

ジャズだぜ、パンクだぜ。

 

何度つまづいても

また立ち上がって、試してみる。

 

めげない、くじけない

だってそもそも、

ベースはむずかしいんだから。